Hasta mañana! また明日

Hasta mañana(アスタ・マニャナ)=スペイン語で「また明日」という意味。


スポンサーリンク


類は友を呼ぶ。アジアの片隅でロスト・イン・トランスレーション

 

シンガポールのホテルで、ロスト・イン・トランスレーションに陥っています。

 

f:id:shibuyaumeboshi:20190218135159j:image

 

話し相手が限られる稀有な状況

 

シンガポールには一時滞在のつもりで暮らしています(観光ビザで滞在中)。長く住まうことは目的でないためホテル暮らしであり、友人関係を積極的に作るような環境ではありません。

 

話し相手がオットしかいないため、オットと話す割合が日本にいた時よりも増えています。というかほぼ100%オットだけ。そのほかにはホテルのスタッフや同じフロアの長期滞在客と少し言葉を交わす程度。中途半端な英語力なので買い物や生活には困らないけど、深い人間関係を築くのは難しい。

 

そのためか最近ものすごい勢いでオットに喋りまくっている自分がいることに気がつきました。

 

オットは私以外の人間とも職場で毎日コミニュケーションを取っていますが、家でも私の猛烈トークを受けとめてくれる。

静かな人なので聞き役となることが多いオット。私の口から放たれるのがポジティブワードならまだしも、最近はそうでもないので、自分が彼の心の負担になっているのではないかと心配!

それだけは避けたいと思う今日この頃です。このままではキャパオーバーになる日が近い気がします。オットも私も、お互い。

 

友人との日本語会話はデトックス

週末、たまたま友人が旅行でシンガポールを訪れていたので久しぶりに会うことに。近況や共通の知り合いの話で盛り上がり、楽しい時間はあっという間に過ぎました。

ひさびさに気のおけない友人とたくさん喋って表情筋を使ったからか、トイレで鏡を見たら口角がキュッと上がっていた!笑

そして喋ることは口から想念を吐き出すことなのかまるでデトックスしたようで、翌日は体がだるく感じるほどでした。

 

 

文句や怒りが口から出ること

友人と話している間は、明るくポジティブな自分でいることができたけど、オットと話すときは、文句や怒りが口から出てしまうことが多い。

しかもそれはオットに対する怒りではなく、社会や見えない誰かへ対するもの。八つ当たりをされるオットはたまったもんじゃないだろう。

目の前にいるオットは優しく思慮深い人で、彼と分かち合いたいものは、感謝の気持ちや家庭の未来なのに、出どころのわからない怒りを彼に向けてしまい自分でも嫌になってしまう。

 

今までは(お酒を飲み過ぎた日を除き)こんなことはありませんでした。最近は素面でも過剰に喋る自分に嫌気が差しています。

 

 

どうしてネガティブなことばかり喋ってしまうのか?

おそらく今までは仕事を通じてネガティブな想念を吐き出すことができていたのだと思います。仕事上でメッセージを発信したり物事を動かしたりすることにエネルギーを費やし、社会への怒りや見えない誰かへの反抗心を昇華させていたのでしょう。

 

今は仕事というエネルギー発散の場がない分だけ、心の燻りをオットに向けて放ってしまっている気がします。

 

楽しい話題ならまだしも、怒りや文句ばかりを喋られているオットは嫌な気持ちになっているはず。そして私も喋り過ぎた自分に気づいて嫌悪感で心がいっぱいになります。

 

日本を出たのに、なぜ文句を言うのか?

私は日本独自の過剰な気づかいや、根回しありきの仕事の進め方などを息苦しいと感じ、羽を伸ばして生きるために海外へ出たかったはず。

 

今はそれが叶い、気候の良いシンガポールでのびのびできるのに、なぜ、私は日本に居たときよりも文句を言うのだろう?と自分で不思議でした。

 

それは、日本社会が問題でなのではなく、日本を出ても変わることができない自分に怒っているんだと気づきました。

 

さも社会が悪いかのように心の澱を吐き出しているけど、結局は自分が変わらなければ、世界のどこにいても、自分で自分を息苦しくさせてしまう。

 

文句を言ってもなんの解決にもならない。

 

 

いま気づくことができてよかった。

 

異国の地にトランスレートしてきても、自分自身が変わらなくては、見える世界は変わらない!

 

話し相手がいないロスト・イン・トランスレーション状態の今だからこそ、「自分への怒り」に気づくことができました。

 

文句を言いたくなるときは、自分が変わりたいサイン

結局、ネガティブなことを喋り過ぎてしまうときは、今の自分を変えたいのに、その一歩を踏み出すのがしんどくて、口から色々思いが出てしまっているのだと認識しました。

 

こうして気力を振り絞って文章にすることで、カオスな思考を整理できて、自分の軸を取り戻すことができそうです。

 

忙しいとその時間が取れないうちに日々が過ぎてしまうけど、今は自分と向き合う時間がたっぷりある。そのことに感謝。自分への怒りに気づくことができてよかったです。

 

社会が悪いとか、社会を変えようとか思うよりも、まず自分が変わる。そのほうが楽だし、文句ばかりの自分の口を黙らせたほうが心穏やかでいられます。

 

口は災いのもとと言いますが、「口は幸せのもと」でもあると信じています。私にとって大切なのは「楽しい人生」であることなので、自分もまわりも楽しくなる言葉が溢れでる口になりますように!

 

ネガティブなことを喋り過ぎそうな時は、目で見て、耳で聴いて、鼻で香り、舌で味わい、肌で感じることを思い出すように心がけたいと思います。あとは日本のニュースサイトやSNSを見ないようにします。(←コレも大事!)

 

ブログのおかげで思いを吐き出すことができて、前に進める!イェイ!シャキッとして今日も生きるぞ!

 

映画「ロスト・イン・トランスレーション」と重なる部分、違う部分

昨日ホテルのテレビチャンネルでロスト・イン・トランスレーションが放映されていた。

 

スカーレット・ヨハンソン演じる若い人妻は、カメラマンの夫に帯同し異国の東京に滞在している。撮影で忙しい夫は日本中をロケで飛び回り相手をしてくれない。時間を持て余しホテルで一日中過ごしたり東京の街を散策するが、やがて同じホテルに滞在する熟年俳優と友人になり、酒を飲んだり東京の街で遊んだりして一緒に時間を過ごす。言葉の通じないアジアの街の一角で、無感動に過ごす若い女と疲れた熟年男の、友情と恋の狭間のような淡く切ない気持ちを残して映画は終わる。

 

この映画の主要ロケ地は新宿のパークハイアットホテル。かつての職場からほど近く、都庁や歌舞伎町など慣れ親しんだ新宿の街を舞台に描かれる映画を、日本以外の場所で見るというのはまた不思議な感覚だった。

 

この映画と同じように、私はオットの仕事について異国の地にやってきて、昼間はひとりホテルで過ごしたり、街を散策している。新たな世界を目にしても感動を共有する相手がいないためか、だんだんと心が無感動になっている。そんな最近だから、映画の女の気持ちも理解できる。

 

でも私のオットは映画の男のように私を置き去りにしないし、きちんと愛してくれている実感がある。そして私は孤独を憂うミステリアスな人妻ではないし、無口でもない。笑

 

友人がほしいとか淡い恋がしたいのではない。ただもっと、ひとりの時間を有意義に過ごせる自立した女性になりたい!映画のシチュエーションに自分を少しだけ重ねつつとも、現実的な生き方を望む自分に気づくのでした。

 

そんな今日は入籍記念日。オットよ、いつもそばにいてくれてありがとう。3年目もよろしくでござる。